海よ
「海」の記憶を辿っていくと、子供の頃に祖父母の家で過ごした夏の季節の海水浴にさかのぼる。そこは宮城県の太平洋側沿岸の北部、岩手県との境にある、地元の人しか知らないような小さな入江で、海の家もパラソルもなく、朽ちた木の小舟があったこと、姉や従兄弟たちと遊んだこと、家に帰ると体にヒルが付いていてびっくりしたことを覚えている。
磯の香りに包まれたそんな思い出とは対照的に、同県の内陸で生まれ育った僕はやがて社会人になり、東京へ出てアパレルの世界に身を浸して暮らしていたある日、東日本大震災が起きた。地震発生直後から家族の安否が確認できるまでの数時間の記憶は、携帯電話を握り続けた両手の感触と共に、忘れることのできない細部で埋め尽くされている。人は失って初めてその存在のありがたさに気がつくというけれど、僕はテレビから流れる映像を見ながら、懐かしいあの海を思い出していた。
それからというもの、国内外から復興へ向けた支援が集まる一方で、僕はまったく行動を起こさなかった。ボランティアに向かえるほど健康で、募金できるほど仕事をしていたにも関わらず、結局、僕はあれだけの出来事を、個人との関係にとどめて「他人事」にしてしまっていた。震災のインパクトが残る間は強引な意志も働いてそれでよかったが、やがて薄まっていく世間の関心とは裏腹に、忘れようとしてきた罪悪感が水かさを増してきた。震災を思い出すたび、良心のようなものが何もしなかった自分を責めたてる。自らの意志で他者に手を差し伸べる機会を逸してきたことを、激しく罵ってくる。こうして書いている今も、恥ずかしい気持ちでいっぱいになる。僕があの時自分に施した処置と選んだ行動はおしなべて、間違いだった。
そんな後悔を抱いたまま出会ったのが、2021年にJAMSTECの設立50周年企画のひとつとして実施された「KR21-11」プロジェクトだった。海について調べているJAMSTECの研究員たちとその活動を広く世に知ってもらうため、知られざる海を開くため、芸術やデザインや音楽や食に携わるクリエイターと一緒に海洋調査をやってみようという試みに、僕はファッション業界の人間として声が掛かった。なるほど広報として長年培った知見で、海の可能性や魅力を伝える力になれるかもしれない。はじめは軽い気持ちでそう思っていたが、「かいれい」に乗船し研究員や他の参加者とふれあい、考えは一変する。
「KR21-11」のプロジェクトで出会ったJAMSTECの研究員たちは、ポーカーフェイスで一切の行動に無駄がなく、少ない口をひらけば、理詰め。というこちらの予想に反してごく普通の人たちだった。パンデミックの最中だったこともあり、乗船にまつわる諸々の手続きこそ細かかったものの、対面で接する彼らは快活でよく喋り、冗談を言い、自分で笑う。しかし眼だけは違った。一様に充血した眼は、ここ数日寝不足気味で……という疲労以上に、研究対象がいつ表すかも知れないほんの僅かな予兆をも逃すまいとする、科学者として磨き上げられた覚悟を帯びた緊張を宿していた。
一方、海洋調査船「かいれい」に乗船したクリエイターたちは「海をテーマに創作を試みる」というミッションと奮闘していた。海と船の音、姿形、匂い、船員たちの言葉、モニターに映し出される数値、海底の気配……。感性を研ぎ澄ませて得られるあらゆるヒントを探し求め、彼らは船内を彷徨っていた。本人にも「自分が探しているもの」をうまく前景化できないがゆえに、それは探せばすぐに見つかるものではなく、代わりに誰かが教えてくれるものでもなく、もし見つかっても作品にできず徒労に終わるかもしれない。しかしJAMSTECの研究員がそうであるように、クリエイターもまた、自分の力が誰かの役に立てると信じている。彼らのそんな様子を間近に見るうちに、僕の混濁した過去の意識は少しずつ浄化されていった。
下船後1年が経ち、クリエイターたちの創作のいくつかは進み、いくつかは停滞した。皆一様に体験は得た。が、向き合うほど海は深化する。迷いなく新鮮なまま捌いてみせたものもいれば、いったんは思考の底にヒントを見つけ浮上したが、期待に及ばず再び潜航したもの、底はあきらめ中間域の浮遊物を捉えようとしているもの。一人ひとり、状況は異なった。当初はそれぞれの作品を一堂に会して発表するという算段だったが、海というテーマはあまりにも複雑で深かった。
プロジェクトとしてもこのままいたずらに時を待つわけにもいかない。でも果たして企画を急ぎ簡略化してもいいのだろうか。簡単に手に負えないからこそ彼らは奮闘しているのであり、その海の複雑さを認めないない限り、JAMSTECの研究員たちの命懸けの覚悟もまた、伝わらないのではないか……。やがて僕たちは「完成や結果を持ち合わせて発表」という考えから「未完のプロセスそのもの」へと移行していき、海と向き合った戸惑いをそのまま表現することこそ、本当の意味で「海を開く」ことにつながるのではないかと考えた。
ごめんなさい、海。
この「KR21-11」というプロジェクトに参加するまで、僕はどこかで海に腹を立てていた。懐かしい思い出に傷をつけて流し去った海、良心と化して復興に参加しなかった自分をなじる海。そんな海は思い通りにいかない都合の悪い相手だった。海を考えて戸惑うのが嫌だった。しかしいつまでそうしているつもりなのだ? 思い通りにいかなかったものの正体は他でもない「内なる海」ではなかったか。寄せては返す心の波間で見つけたこの海が、やがて誰かの海とつながり、そこで役に立つ仕事を、これからの僕はしたい。開け、わが海よ。